広島大学千原研究室

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神経回路の形成、成熟、老化の分子機構解明

機能的な神経回路形成を支える分子基盤解明

1906年、スペインの神経解剖学者サンチャゴ・ラモニ・カハールがゴルジ染色法を駆使して脳神経回路網を記載し「神経説」の提唱によりノーベル賞を受賞した。その後、約100年が経った今も多くの研究者が「心が宿るという脳神経回路」の神秘さ・美しさに魅了され研究を進めている。機能的な神経回路の形成には、軸索と樹状突起がそれぞれ適切な標的へ投射し、機能的なシナプスを形成することが重要である。これら神経配線・シナプス形成の制御機構を解明するには、神経細胞・突起を1細胞レベルの解像度で操作、観察する必要がある。しかし、脳神経回路の圧倒的な複雑さは、研究自体を困難にし、その断片化、遅延を引き起こしてきた。我々は最新の遺伝学・発生学・細胞生物学・生化学・ゲノミクス的手法を駆使することにより神経回路形成を生体内で統合的に解明することを目指している。具体的には、ショウジョウバエの神経回路の形成過程をモデルシステムとし、「神経回路形成・機能を制御する分子・細胞ロジック」を「生体内1細胞レベルの解像度」で解明することを目指している。

神経回路形成を研究する上でのin vivoモデルシステム

1. ショウジョウバエ嗅覚系神経回路

匂い情報は、ショウジョウバエ触角に位置する一次感覚神経 (Olfactory receptor neurons: ORN) によって受容され、その軸索によって一次嗅覚中枢:触角葉へ伝えられる(右図:赤・青色の神経)。次にこの嗅覚情報は二次投射神経 (Projection neuron: PN)の樹状突起へ伝えられ更に高次嗅覚中枢へ送られていく(右図:緑系色の神経)。我々は、この触角葉における神経接続、すなわち「ORN軸索 -> PN樹状突起」の神経接続に着目し研究を行っている。この系の特徴として、①神経細胞数は比較的少ないが、その基本構造がヒト・マウスの嗅覚神経回路と類似していること、②ショウジョウバエ脳内単一細胞モザイク解析法(MARCM法)を活用することにより、脳内でORN, PNを独立に遺伝学的に操作することが可能であることが挙げられる。特に、脳内で単一細胞レベルの遺伝子型操作ができるのはショウジョウバエを用いる最大の利点である。

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これまで我々は、PN樹状突起ターゲティングが異常になる変異体を多数単離し、新規分子・遺伝子を解析することにより、進化的に保存された神経回路形成の分子基盤を明らかにしてきた。今後は脳内カルシウムイメージング、単一細胞種遺伝子発現プロファイリング等も積極的に活用して、「脳内における神経シナプスパートナーマッチング」の分子機構を分子遺伝学的に解析していく予定である。

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2.ショウジョウバエ幼虫の神経筋接合部

機能的な神経回路の形成には、神経間シナプス形成・成熟・維持が不可欠である。シナプスを構成する蛋白質の欠損・異常は、多くの神経疾患(アルツハイマー病、統合失調症など)と深い関連があることから、シナプス生物学はヒト神経疾患の発症分子基盤を理解する上でも有用な知見を与える。一般にシナプスは神経突起間の微小構造であり、単一細胞レベルの解析が困難である。我々は、ショウジョウバエ幼虫の神経筋接合部に存在する巨大シナプスをモデル系として、シナプス形成・成熟・維持の分子基盤解明を目指している。

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以上、ショウジョウバエの嗅覚系神経回路、幼虫神経筋接合部シナプスをモデルシステムとして、機能的な神経回路を形成する分子基盤を明らかにしていく。

老化に伴う神経回路変性・機能低下の原因理解

一般に、老化に伴って記憶学習、認識等の脳機能は低下する。その一因として老化に伴う神経細胞の細胞死が注目されており、これまで多くの研究者によって神経変性疾患における細胞死が研究されてきた。一方、正常な老化の過程における細胞死はほとんど研究されていない。私達は老化脳における神経細胞死を切り口として、自然老化における神経回路機能低下の分子メカニズムに迫ることを目標としている。
細胞死、時にプログラムされた細胞死(アポトーシス)を実行する酵素としてシステインプロテアーゼ・カスパーゼが知られている。カスパーゼは細胞死のみならず、細胞分化、個体発生、神経疾患、更には成体の正常脳においても重要な役割を果たしていることが分かってきている。例えば、カスパーゼ活性化を特定の神経核で抑制したキンカチョウでは、歌の記憶・学習ができなくなる。我々は生後脳におけるカスパーゼの機能を解析する目的でショウジョウバエ成体脳においてカスパーゼを活性化している神経回路を網羅的に探索した。その結果、食物に関連した匂いに応答する嗅覚神経 (Or42b神経)において、加齢依存的にカスパーゼが活性化することを見出した(右図)。そして実際にOr42b神経は加齢依存的に細胞死することを明らかにした。更に解析を進めることで、加齢依存的な個体行動変化と神経細胞死の因果関係を示すことに成功した(下図)。

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一般に、個体老化の過程において嗅覚、視覚などの感覚感度は鈍っていく。今後、この我々の発見を元に、①老化一般に見られる感覚の鈍化はどのように引き起こされるのか、②嗅覚神経の中でも「食物に関連した匂い」に反応する神経 (Or42b神経)だけでカスパーゼが活性化することにどのような合理性・必然性があるのか、②この加齢依存的なカスパーゼ活性化を引き起こす分子メカニズムとは何か、といったクエスチョンを明らかにしていく。これにより、「正常老化脳における神経回路の構造・機能低下の分子機構とその意義」について明らかにする。

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外部環境に対応する神経可塑性の分子機構解明

これまでの我々の研究は主に、「神経回路の形成(発生)」および「神経回路の老化」であった。そして今年度から新たな研究の軸として、「外部環境に対応する神経可塑性の分子機構解明」と題したプロジェクトを開始する。
神経回路、神経機能は外部環境によって大きく左右される。それは時に構造的なものであり時に機能的なものである。さらにその変化が世代を超えて子孫へ受け継がれ、定着することによって種分化へと発展することもある。我々はこのような環境が個体に与える影響を「神経細胞・回路・個体行動レベル」で解析することによって、環境変化に柔軟に対応する生物の生存戦略を分子・細胞レベルで理解することを目指す。
詳細に関しては後日掲載予定。

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